自分の人生、他人の人生

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無知の知

みなさんこんばんは、盃です。

今日は、私が好きなものの1つである『哲学』についてお話したいと思います。

まず、私が『哲学』に初めて触れたのは、高校1年生の時の『倫理』の授業でした。

 

最初は昔の人は訳の分からないことを考えているものだなぁ。というような心持ちで授業を聞いていたわけですが、定期テストが迫り、倫理の復習のために何度も読み直している内に、面白い考えだな。だとか、確かに、言われてみればそうかもな。みたいに思う様になり、倫理を教えてくれていた先生が『君が考えていることは昔の人が大体考えているし、君が悩んでることも、昔の人も同じように悩んでいる。倫理はその答えの一つを学ぶための科目だよ』と言っていたのを聞いて、好きになりました。

 

その中で一番最初に習い、一番印象に残っている言葉を紹介します。

 

ソクラテスの『無知の知

 

話の経緯はこうです。

 

ある時、ソクラテスの弟子がデルフォイ神殿において『ソクラテスより知恵のある者は誰かいるか』と尋ねました。すると神の言葉を授かる巫女は『より知恵のある者はいない』と答えました。

ソクラテスは自分が賢いとも知恵があるとも思っていませんでした。本当なら何の冗談だ?と笑い飛ばしたい所だが、神の言葉ではそうもいかない。何故なら神は間違わないからだ。けれど納得いかない。自分より知恵のある者は沢山いるはずだと、ソクラテスが知恵ある者だと思う人たちと問答をして、自分より知恵があるということを証明しようとしました。

けれども、問答する人は皆『他の多くの人間に知恵ある者だと思われ、とりわけ自分自身でもそう思っているけれど、実のところそうではない』というような人ばかりで、それならばと推論を立てた。

『私はこの人間よりは知恵があると言えるかもしれない。何故なら、私たちのどちらも立派で為になることなど一つも知らないが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私は私が知らないということを知っているという点で、この人より僅かばかり知恵があるのではないか』

 

みたいな経緯です。この内容は倫理の教科書や、ソクラテスの弁明という本に書かれているような内容です。細かい所は違うかと思いますが、大体こんなような内容だと思います。

 

これを聞いた時、ひどく得心がいったのは今でも記憶に新しいです。

 

人は自分が愚かであると知っているからこそ、賢明であろうと努力し

人は自分が無知であると知っているからこそ、知ろうとするのだと思います。

 

自分が愚かであるにも関わらず、自分を賢いと思い

自分に知らないことが多いのに、自分は何でも知っていると思う。

 

これは確かに知恵があるとは言えないな。と思いました。

 

なので、私も自分が愚かであること認めた上で、賢明になれるように努力していきたいと思いましたし、自分が無知であることを知り、更に色々なことを知りたいと思いました。