自分の人生、他人の人生

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本を読む理由・本に求めるもの

こんにちは盃です。

毎日更新を細々と続けさせていただいております。

見てくださっている方には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

今回投稿させていただく内容は、私が本を読む理由と、本に求めるものについてです。

 

と言いますのも、昨日友人と本の話をしてる時にそのような話になったのがきっかけでした。

周りの友人が本を読む理由と本に求めるもの、そして私が本を読む理由と本に求めるものに少しばかり違いがありましたので、そのことについて書かせてもらいます。

 

まず、友人達と『本を読むとき、何を重視しているか』という話になりました。

・物語

・設定

・登場人物

友人達が挙げたのは上記の三つに大体当てはまりました。

中には『文章の美しさ』という人もいて、目の付け所が良いななどと思っていました。

私が友人達と少し意見が違うとは言え、友人達が挙げたこれらに関して反駁するわけではありません。むしろ私も同じように思います。

ストーリーは一貫性があったり、意外性があったりした方がいいですし

設定だって、薄っぺらいものよりは、濃厚で練りに練られたものの方がいいです。

登場人物だって、魅力のないよりは、魅力的な方が好ましいと思います。

激しく同意して、本についての認識を共有していたのですが、私は自分の認識に少し違和感を感じました。

それは、友人達はそれぞれ自分が挙げた要素を重視していました。

けれど、私は大事だと思いつつ、重視はしていませんでした。

思い返してみれば、別にストーリーは良い方がいいけれど、別にストーリーの良し悪しによって本を読むかどうかを決定することはなく、設定についても同様で、設定の作りこみ重厚である方がいいけれど、設定が薄っぺらかろうと読みはします。

登場人物の魅力云々などのも私の読む読まないに何ら影響しなかったのです。

もちろん読んだ感想の中には先程のような要素について言及していくのですが重きを置いているかどうかと言いますと首を捻らざるを得ません。

 

では、私は何を重視して『本を読み』、何を以て『読む読まない』を判断しているのか。

 

自分の中でしっかり考えてみると、それは『学び』でした。

 

その本を読むことによって私はどのような学びを得るのだろう。この本を読み終わった後、私の考えはどのように変化しているのだろう。

そのようなことを考えていました。

なので、自分で開拓して本を読もうとするときは、『学びがありそうか』という第一印象だけで判断してしまいます。

しかも、ストーリー、設定、登場人物に言及するのは私の感想のメインではなく、あくまでサブなのです。なのでメインは別にあり、どういった場面で自分が何を思い、それについて内容と自分について考察していくことがメインとなります。

 

友人達に本の感想を言うときは、あまりそういったことを求められていないので、メインを隠して話すことが多いのを考えると、確かに少し認識に違いがあると思いました。

 

私が重視する部分は『学び』とお話ししました。

けれど、学びとは『現時点の自分』にないものを得ることです。

自分が意識的に学びを得ようと本を読めば大抵の本に学びはあるので、私にとって『つまらない本』『駄作』というものは存在しません。

あるのは『学びを得られた本』と『現時点の自分では学びを得ることができなかった本』の二つです。

全ては自分次第なので、面白さを理解できない本があるとして、その本がつまらない訳ではなく、私が持っている感性がその本の魅力に合わないだけで、そこで、合わないから読まないことを選択するのも自由ですが、私は自分が持っていない感性を理解したいと思うタイプです。

 

更に私にとって学びはとても広義で、作品の面白さなども学びに入ります。

この作品を面白いと思う人はどういった部分を面白いと感じるのだろう。なんて考えていたりします。私は生来自分が持っていないモノを手に入れたり、自分と違うモノを理解するのが好きなようで、自然とそのような考え方になります。

 

友人にそのような話をすると、『そこまで考えながら読んでいない』『めんどくさそう』などと言われてしまいますが、本を読む理由や本の読み方は人それぞれなので、あまり否定はしてほしくない所ですが、これまた何を否定し、何を肯定するかも人それぞれなので、難しいなと思いました。