自分の人生、他人の人生

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怒りについて②

どうもこんばんわ、盃です。

またお目に掛かれることを心よりうれしく思っています。

と、言いますのも近頃は新型コロナが猛威を振るっている現状があり、生活や仕事が麻痺している人もいるかと思います。

 

斯く言う私も四月から新社会人なのですが、社会人に向けての研修であったり、入社式であったりが悉く中止となりました。

更に、このような情勢の中では私の行く業界も不況の呷りを受けることは間違いないでしょう。そんな中で会社を維持するために取られる措置に幾つか心当たりがあるために血の気が引いてしまうこともありますが、そこは諸行無常ということで私が心配したところで栓の無いことだと割り切っています。

 

ニュースなんかを見ていますと、咳をすればコロナコロナと皆々様も不安で仕方ない様子。家から出ずに安全を喫したいところではあるが、買い物に行ったり、仕事に行ったりと生活の営みをしなければいけないのも現状、生活にも心にも余裕の無い日々を過ごされていることと思います。

 

余裕がないと現れるのが、以前にもお話させていただいた『怒り』でございます。

 

今回は『怒り』の第弐弾として、簡単にお話ししたいなと思います。

 

前もって言っておきますと、これを読んでも特に『怒り』が収まるということも、『怒り』について認識が変わるということもありません。

 

度々言いますが、あくまで私の私見なのです。

 

最近は外出を控えるという指針が立ち、私自身、出なければならない用事がない限りはできるだけ家に居ようと心がけています。

 

そんなこともあり、家に居てやることと言えば、やはり読書です。

 

そんな中、ふとブッダの言葉が書かれた本を読んでいますと、ブッダも『怒り』について言及していました。

 

ブッダはご存じですか?手塚治虫氏が書いた漫画の中にもありましたし、仏教が身近に散見される日本では一応馴染み深いと思いますが、お釈迦様のことです。

とは言っても、本名はまた別にあります。私が習った名前ですと『ゴータマシッダールタ』というのが本名のようです。

 

そんなブッダも『怒りを捨てよ、慢心を除き去れ』と仰っています。

 

まあ、あの偉大なブッダが仰るなら、その方が良いのでしょう。

 

あ、言い忘れていましたが、私は仏教徒ではありません。両親が属していたものがそのまま引き継がれるのだとすれば仏教徒ということになりますが、両親は仏教のどの宗派に属しているのかすら知りません。

なので、私の意識としては無宗教論者です。

 

けれど、特定の宗教を信じているわけではないですが、各宗教の良い部分を学びとして得ることは大事かなと思い、宗教の本を読むことも少なくありません。

 

なので、仏教、儒教キリスト教など色々な教えが書かれている本を読みます。

 

ということで本題に戻ります。

 

ブッダは『心を荒馬』、『理性を御者』に例えています。

御者とは馬を操る人のことですね。

つまり、馬を操ることができなければ御者と言えないように、心を制御できない理性は理性と呼べないということです。

 

あとは『怒り』は悟りから遠ざけると言ったような、自己研鑽をしたい人向けの言葉になるのですが、、、

 

私が思うのは、対人限定ですが『怒る』ということは多くの場合は『喧嘩』のような相互に怒っていたり、理不尽に対する『不満』で怒っていたりすると思うので

 

それってつまり、自分と『同等』の人間か、自分の力が及ばない『格上』の人間にしか湧かない感情なんじゃないかなと思います。

 

だって、自分の力で何とかできるなら不満なんて溜まらないと思いませんか?

だから、自分の力が及ばない力を持った人に理不尽を押し付けられたときに『不満』を感じる。

 

喧嘩だって同じです。多くの場合は子供に叩かれたくらいでは怒らないし、子供に罵詈雑言吐かれたとしても軽く受け流せます。

それが喧嘩に発展するのは、心で見下している相手に自分と同等若しくは自分より格上のような態度を取られるからなのかなと思いました。

 

なので、私は上記と同じように不満が溜まったときは、一時の発散にしかないならない『怒り』に変換するより、その理不尽を解消できる策を探す『原動力』に変換するようにしています。

 

そして、喧嘩は意見のぶつかり合いだと思うので、多様性を重んじていれば相手の意見を大体受け入れ、自分の意見を否定されようと人それぞれの考え方と特に怒りは湧いてこなくなりました。

 

私はそのように感じました。

これを読んで怒りっぽいことは悪いことだから直せ。ということを言いたいのではありません。

私はそのように思って、私自身が気を付けるようにしているだけのことです。これに共感してくだされば、意識を変えてみるのも一つのだと思います。