自分の人生、他人の人生

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失敗

 

 

どうもこんばんは、盃です。

先日は『理系脳・文系脳』についてお話ししました。

その中で、私が幾度も失敗を重ねてきたことについても触れたと思います。

今日はそのことについて少し深堀りしていきたいと思います。

とは言っても、私が犯した失敗について具体的にお話ししていくわけではありません。

もちろん、それを書くことによって皆さんの役に立つことができるのであれば、自らの醜態を晒すことも辞さないわけですが、今のところは私の失敗が皆さんのお役に立てるとは到底思えませんので、『失敗』という概念について具体的に考えてみたいと思います。

 

まず最初に明確にしておきたいのは私の辞書に『失敗』の二文字はないということです。

 

言葉だけ聞けば、ドクターXというドラマの決め台詞みたいですね。

きっと『失敗はしない』という意味に捉えられてしまうと思います。

けれど、ここで私がお伝えしたい意図は別にあります。

私の真意はこうです。

『失敗は一つの視点からの評価にすぎない』

 

私の考えの中での『失敗』という言葉に該当するのは

 

『自分の望まない自分にとって不都合な結果』

 

というものです。

これは、『失敗』と括られる結果の全てに共通していることだと思います。

 

違うのは『誰にとって、どのように不都合な結果なのか』ということです。

 

なので、私はこの『誰にとって』と『どのように』を視野の広さで網羅してしまおうと考える人間です。

 

この『誰にとって、どのように不都合な結果なのか』をしっかり理解してから、応用するとその裏も読めます。

『自分の望まない自分にとって不都合な結果』

これは『誰かが望んだ誰かにとって好都合な結果』なのです。

 

つまり、結局『失敗』なんて代物は『自分の都合』によって左右されるのです。

 

上記した『誰か』は別に人である必要はありません。けれど必ず『現時点での自分以外の何か』です。

 

それを私は『主流の自分』と『傍流の自分』で考えます。

『主流の自分』とは、主観の自分です。

『傍流の自分』とは、自分を客観視できている自分です。

 

そうしますと、たとえ『主流の自分にとって望まない不都合な結果だったとしても、傍流の自分にとっては好都合な結果だったかもしれない』となります。

 

『主流の自分』においては確かに『失敗』だったかもしれない。

けれども『傍流の自分』はその『失敗』と呼ばれる結果に有意義な価値を見いだせている。

 

こうなった場合、私の中では『自分の望まない不都合な結果』というものが『自分が望んでいたものとは違うけれど、また別の価値のある結果』というものに変換されてしまうのです。

 

このようなことを想う様になって八年ほど経ちます。

今では、予定通り、想像通り、望んだ通りに行かなった結果は『失敗』ではなく、

何故予定通りにいかなかったのか、どうして想像とは違った結果になったのか、どうしたら望んだ通りの結果を得られたのか。などを考えさせてくれる貴重な経験なのです。

 

これを『失敗』と言ってしまっては勿体ない。

 

以上のことから、私は世間的に言う『失敗』を『失敗』と認識していないので、実質私の辞書には『失敗』の二文字はない。

ということになります。

 

屁理屈が過ぎますが、私はこの考え方が好きであり、今のところ特に不都合が生じていないので、不都合が生じるまでこの考え方で貫きます。

 

 

とは言っても、便宜上『失敗』という言葉を使います。

やはり、『失敗』という二文字だけで、先に述べたように『自分の望まない不都合な結果』という意図を伝えることができるというのはとても便利です。

 

そして今までの文章で構成した『失敗の定義』を用いて話を続けていきたいと思います。

 

『失敗』を『自分の望まない不都合な結果』という風に言い換えましたが、その『失敗』には種類を2つに大別できると思っています。

 

それは『努力した失敗』か『努力しなかった失敗』かです。

 

この好ましいのは『努力した失敗』です。これは皆さんにも共感していただけると思います。

 

この場合はやはり『失敗』と呼ぶべきではないと思うのです。

 

努力の程度によりますが、しっかりと努力したことを仮定するのであれば、『失敗』から学ぶことが多いと思います。

実りのある反省ができると思います。

努力の中には行動前にしっかりと考えるということも含まれます。

その時点での自分で考え抜けば、その時点での自分の最善ということもわかります。

その上で『失敗』したとなれば、自分に足りなかったものは簡単に考察できるでしょう。

 

けれど、これが『努力しなかった失敗』では話は変わってきます。

『失敗』とするのならこちらだと思います。

こちらの『失敗』は反省しようとするとまず『努力する』というとても初歩的な反省になってしまい、それだけで満足してしまったり、あまつさえ、この失敗をするタイプは反省をせずに開き直ったりすることが多いように思います。

『努力しなかったからしょうがない』

『努力すれば、他の人よりできる』と言った具合ですね。

 

 

なので、行動を起こすときや、問題に対処する時は、事前にしっかりと考えて準備することを私は意識しています。

 

みなさまはいかがでしょうか。

 

またまた長い文章となりましたが、読んでくださりありがとうございます。