文系脳・理系脳
どうもこんにちは盃です。
突然ながら、私は理系という括りの中にいます。
私が専門に学んでいた生物は理解に属していました。
その時によく耳にした言葉が『理系脳・文系脳』です。
他には『論理脳・言語脳』や『左脳派・右脳派』とも関係があるそうです。
簡単に説明していくと
『理系脳・論理脳・左脳派』は左脳が発達しているそうです。
左脳の機能としては、『情報処理』で、論理的な思考を得意としています。
得た情報を適切に処理していくことで、物事の筋道を順序立てて考えることができ、なおかつ物事の理由や根拠などの分析も得意としています。
その分、記憶容量はそれほど多くないため、複雑な物事を単純なものに処理してから記憶領域に収納するらしいです。
なので、逆に要点をかいつまんだ短期記憶なんかは左脳を使っていて、そのせいで記憶が長期間持続せずにすぐ消えてしまうのだとか。
容量が少ないのに長期記憶をしまったらすぐに記憶しなければいけないことが容量を超えてしまいますからね。
なるほどと思いました。
一方で、『文系脳・言語脳・右脳派』は右脳が発達しているそうです。
右脳の機能は、『記憶』で、直感的な思考を得意としています。
左脳とは違い記憶容量が多いため、複雑な物事を複雑なまま記憶しておくことができます。言うなれば左脳が『不必要』として切り捨てた部分まで記憶できるわけですから、その記憶を切り貼りしたりできれば独創性などになるのではと思います。
そして複雑な物事を複雑なまま記憶しておくことができるということは、思い出が鮮明に残っているということを意味していますので、その時の感情を想起することも『理系脳・論理脳・左脳派』より容易になるため、感情的になるのではないかと思います。
更に同じ理由で、経験をその詳細まで記憶しているため、判断材料を論理でデータではなく『経験』に託すのでは?と私は考えています。
このように『左脳と右脳』では担っている役割が大きく違います。
なので、どちらがより発達しているかによって、得意とすることも変わってきます。
そして、完全にどちらか一方ということは殆どなくて、『強いて言えば』『比較的』『どちらかというと』という曖昧な言葉にならざるを得ないと思います。
とは言え、自分をしっかり知るということは大事ですから、この『曖昧』を自分の独断と偏見を持って自己分析して行きたいと思います。
どうやって分析するかを今即興で考えた結果。
幾つかの項目に分けて考えていきたいと思います。
『生来』
『人付き合い』
『恋愛』
『仕事』
『プライベート』
『総合』
といったような感じで、こういう状況の時はこっちを使っているかな。みたいな感じで進めていきます。
最初に『生来』という項目について考察していきます。
生来とは生まれつきということですが、私は生まれた時の記憶はないもので、物心が付いた辺りや小学生、中学生くらいの幼い頃の記憶から、元々はどっちよりだろうな。ということを述べていこうかなと思っています。
幼い頃から中学生くらいまでは『右脳派』で直感的に考えていたと思います。
とても感情的で、喜怒哀楽が強い子供だったと記憶しています。
母には、小さなことで凄く喜ぶ。と言われるくらいにちょっとでも嬉しいことがあるとすぐに顔に出たり態度に出ていたそうです。
怒りに関しても同じでした。自分の気に食わないことがあるとすぐに顔や態度に出ますし、小さなことでも癇癪を起していました。
哀しみについては特にひどかったです。この感情が特に強かったことから『ネガティブ』に繋がったのだと思います。
小さなことですぐに傷ついていたので、他の人より心が弱い子供だったのだと思います。更に小さなことで他の人が受ける傷より大きな傷を負っていたものですから、他の人が気にも留めないようなことでいくつもトラウマを作ってきました。
そんなこんなで『ネガティブ』になり、なおかつ感情的なものですから『情緒不安定』でした。
ここまでは確かに『右脳派』ではあったのですが、これは『右脳』が特に発達していたのではなく、『左脳』が特に未発達だったのではないか。と私自身は推測しています。
というのも次の項目から少しずつ明らかになっていくと思います。
次は『人付き合い』です。
これは主に『友達』『家族』などをメインに人全体と関わる時にどういう意識で関わっているかなっていうのを考察してみました。
『人付き合い』に関しては完全に『左脳派』です。
これはあくまで『現在』なので、過去は含んでいません。
過去は『生来』の項目でお話した通り『右脳派』でした。
直感的で、感情的に人と関わっていた気がします。
けれど、なぜ『現在』は『左脳派』なのか。
それは『右脳派』の直感的で、感情的な方法での人付き合いに失敗したからです。
それは客観的に見れば、特に大きな失敗ではありません。
誰もが経験する程度の失敗です。
まあ、ここから先はあまり楽しい話ではなくなってしまうので割愛します。
他人の不幸自慢ほどどうでもいいものはありませんからね。
その失敗のおかげで、自分の『右脳派』の人付き合いの仕方を見限って、『左脳派』の人付き合いの仕方を模索していきました。
今までしてこなかった方法ですので当然、また失敗します。
けれど『右脳派』の時の失敗と大きく違ったのは『じゃあ次は失敗しない為にはどうしよう』と考えるようになりました。
これまた当然なのですが、初めて考え始めたので最初は最善策なんて思い浮かぶはずもなく、迷走したり、同じ失敗を繰り返したりしました。
それでも考えることは止めませんでした。
たとえ失敗を繰り返したとしても、そこに価値を見出せるようになったからです。
なので、それからも失敗する度にその反省と改善策を練り続けました。
その結果、塵も積もれば山となる。という諺通り、多くの経験値が蓄積しています。
何か行動しようとする時、数々の失敗や成功を通して得た経験値が色々教えてくれます。
どんな時は失敗するのか、逆にどういう時は成功するのか、もし失敗したら得られるものは何なのか。成功したら次は何をすれば良いのか。
そして有難いことに今のところは成功しています。
つまり私は考えることの味を占めてしまったわけです。
とりあえず2つの項目については書き終えました。
この時点でこれまた長い文章になってしまったので、一度区切らせていただきます。
遠くない未来にこの続きを書くつもりではありますが、もし多くの方が反応してくださるようであれば予定を組み替えて早めに書こうかな、なんてことも考えています。
ここまで読んでくださり誠にありがとうございました。