孫子
どうもこんばんは、盃です。
四月が目前に迫り、就職する会社の勉強に追われる日々を送っております。
今、一番の悩みは『色々なことに興味がありすぎること』です。
会社から配布された勉強用の冊子を読んでいるのですが、書かれている内容全てに興味が湧いてしまい、これはどういうことだろう。だとか、これは本当に書かれているだけの内容なのだろうかもっと詳しい説明は?だとか些細な知識を深堀したくなってしかたないのです。
悩みではありますが、これは良いことだとも思います。
知識を暗記ではなく、理解したいと無意識に思っているという証拠だからです。
最近は文章を読んだときに、文章そのものの意味だけでなく、その背景や書かれていること以外の内包している意味を模索している自分を発見します。
きっとそれは近頃ずっと読んでいる古典漢文のお陰かなと思っています。
主に、『論語』『菜根譚』『韓非子』『孫子』『老子』などですが、それらはとても偉大な著者によって書かれた学びの巣窟です。
書かれている言葉だけに注目していては読み解けない難解なものも多いのです。
もちろん日本の有識者の方が翻訳・解説してくださっているのですが、何分はるか昔に記されたものですから、それはあくまで分析の範囲を出ないもので、一説・解釈の領域を出ません。
なので、読んでいると、書かれている翻訳・解説よりも自分なりにしっくりくる解釈を探すこともあります。
ということで、私がそれらを読むときは、傍らに検索できる電子機器や辞書、関連書籍などを携えるようになりました。
そんな私が今読み直しているのは『孫子』です。
『孫武』によって書かれた本で、その内容は『兵法』です。
これがまた奥深い。
一部だけを読んで理解できるような代物ではないのです。
『論語』などのように問答式でないため、内容を区切ることも難しく、全部が連綿と関係しているのです。
1つを理解するために、それまでに書かれていた全てを理解している必要がある。
というものである気がします。
これは全ての本に言えることだと思います。
けれど、ここまでその能力の必要性を感じたことはありませんでした。
なので、本当なら読んでいる途中で琴線に触れた内容を抜粋して投稿したいところなのですが、それができません。
なので、今は『孫子』を読んでいるんだよ。ということだけを報告させていただきます。
今日は珍しく短い文章でした。
読んでいただき誠にありがとうございます。