自分の人生、他人の人生

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できるできない・するしない

どうもこんばんは、盃です。

 

最近は就職の勉強ばかりで投稿のネタがありません。

 

なので、メモ帳にあったものを引っ張り出そうと思います。

 

普段はふと考え付いたものを題名だけメモしておいて、暇な時間にじっくり考えてみるということをしています。

 

今回は『できるできない・するしない』について考えてみました。

 

これらの言葉は日常でよく耳にします。

 

そんな中、ふと疑問に思ったのです。

 

それらの言葉の意味を意識して使っている人はどれくらいいるのだろう。と

 

実際身近では、これらを混同してい使っている人も見かけます。

 

『できるできない』

これは言い換えるならば『可能・不可能』です。

つまり『能力』です。

 

それに対して

『するしない』

これは『行動』であり『意思』です。

 

これを混同してはいけません。

 

『する』を『できる』と言い、『できない』を『しない』に言い換える。

これは一見同じ意味に思えますが違います。

 

これらは組み合わせて漸く正確な表現となるように思えます。

 

『できるからする』

『できるけどしない』

『できないけどする』

『できないからしない』

 

この四種類に分けることができます。

 

本来であれば、『能力』と『意思』でワンセットなのです。

 

けれど、多くの人はこれを意識することはあまりありません。

 

自然の成り行きとして『できるからする』『できないからしない』は多々存在します。

これは『能力』と『意思』が釣り合っている場合です。

これは人間だけでなく、動物も同じではないでしょうか。

『能力の有無』に『意思』が連動するというのでしょうか。

この場合は『能力』が優位で、実に『本能的』だなと思いました。

できることをして、できないことはしない。

これでは人としての発展はあまりないように思います。

 

けれど、個人的に大切だと思うのは残りの二つです。

『できるけどしない』

『できないけどする』

これらは『能力』と『意思』が一致していません。

『能力』に対して『意思』が歯止めを掛けたり、逆に後押ししたりする。

この場合は『意思』が優位で、『意思』を『理性』と捉えると、こちらは『理性的』だなと思いました。

できることを自分の意思を以てしないことで、自分としての軸であったり、人としての誠実さが身に付きます。

逆にできないこと自分の意思を以てすることで、人として成長することができます。

 

『能力』はとても大切です。

今の日本社会は能力重視だと思うので、『能力』を伸ばすことは社会を生きやすくするためには必要不可欠なのは事実です。

けれど、『能力』だけが高いのでは弊害が生じると思うのです。

『能力』や『本能』なんかは時として『感情』を剥き出しに道徳心を失わせてしまうような暴れ馬のような一面があります。

時には、『能力』の高さに胡坐を掻いて他人を見下し、『本能』に任せて他人の尊厳を軽んじ、『感情』に呑まれて他人に都合を押し付ける。

『能力』も『本能』も『感情』も適切に扱わなければなりません。

 

だからこそ、『意思』『理性』が必要なのです。

『能力』や『本能』、『感情』なんかを暴れ馬に喩えるならば、『意思』や『理性』はその暴れ馬の手綱を引く御者のようなものです。

暴れ馬は扱うのが難しい分、丈夫な体躯と強靭な膂力を宿しています。つまりしっかりと手綱を握り、制御さえできればどんな駿馬にも負けない名馬となるのです。

そうなれば、『能力』は人を導き、『本能』は第六感や危機管理能力に昇華し、『感情』は人生に彩りを齎します。

『意思』や『理性』をただの人ではなく敢えて『御者』としました。

『御者』は馬を操れなければいけません。であれば馬の手綱をしっかりと握れないのであれば、『意思』や『理性』の存在価値はないに等しいと思います。

けれど、考え、意思を持った上で『できるからする』『できないからしない』という選択肢を敢えて取るのであれば、その限りではありません。

 

だからこそ、何も考えず、暴れ馬たる『能力』『本能』『感情』に身を委ね、『できるからする』『できないからしない』とするならば、不誠実であったり、自分の可能性を潰したりしてしまうかもしれない。

 

とはいえ『御者』は最初から『御者』として十分な技量を持っている訳ではありません。『御者』たる『意思』や『理性』を暴れ馬を手懐ける名手に育て上げるのは自分です。

 

倫理観を学び、人を想い、視野を広げ、人を見て、人の考えを受け入れる、そして常に自分を顧みることによってそれらは育っていくのではないかと思います。

 

今の時代の教育は『能力』だけを向上させる課程であるように思います。

その所為か、実年齢と内面が大きく乖離している人も多く見受けられる気がするのです。

 

それを見て、『能力』と並列的に『意思』も育てていかなければいけないなと思いました。